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~真のエリザベートは~


エリザベート

さまざまな芸術作品に描かれたエリザベート。
エリザベートはあまりの美しさに人々から好奇の目で見られることを嫌がり
扇で顔を隠していることが多かったと言います。

エリザベートと言えばバイエルンの薔薇と呼ばれたり、
自他ともに認めるヨーロッパ随一の美女でしたが、
「美しすぎるがゆえに信じてもらえなかった人道主義者」でもありました。

1866年6月に勃発したプロイセンvsオーストリアの戦争ではエリザ-トが慈愛溢れる看護師として活躍。
また、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立にも尽力しました。
人権に重きをおく、慈愛に満ちた女神のような面も持ち合わせていたのです。

エリザベートは成熟するにつれ、神秘性を増してゆきます。
精神病でないか?疑われるような性格でしたが、
19世紀においては変人であったとしても、ただ近代的で先進的な女性であっただけでないか?と私は思います。
エリザベートはギリシャ神話を好み、中でもアキレウスの生きざまに惹かれていました。
大好きなギリシャの離宮にベルリンの彫刻家エルンスト・ヘルターに依頼したアキレウスの彫刻を造らせたほどで、
その傍らでホメロスの『イリアス』を読んでいたそうです。
エリザベートは孤独を好み、一人で物思いに深けるのが好きだったそうです。。
男性よりも美しい女性への執着があり、エリザベートの付人はみな独身で、美しいハンガリー人女性でした。
乗馬、一日30分2回の水泳、競歩・・・・・・体を鍛え、美の追求に対してもすさまじいものがありました。

若い頃、みんなから注目される美貌を持つと言うことは、年を重ねるにつれ、
どれほどそれをプレッシャーを感じることになるのか、考えるだけで恐ろしくなります。

しかし、女性に生まれ、「大変美しい女性」として歴史に名を刻めることは大変名誉なことですよね。




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~エリザベートとの別れ~


晩年のエリザベートは身分を隠し、船旅をすることが多くなります。
1898年9月10日、秋晴れのジュネーブ、ホテル・リヴァ―ジュの前で、
エリザベートは無政府主義者、ルイジ・ルケーニに木片にヤスリをつけた凶器で胸を刺されます。
ホテルのドアマンはスリと勘違いしたほど一瞬の出来事であったそうです。
それからお気に入りのハンガリー人の付人と一緒に乗船場まで歩いたものの、乗戦場へ到着するや否や倒れこみます。
ここで付人がエリザベートの身分を明かし、ホテルへ運ばれるも、帰らぬ人となってしまいます。
エリザベートの死の翌日、フランツ・ヨーゼフ皇帝は「私がこの女性をどれほど愛していたかわかるまい・・・・・・」
と悲しみ嘆いたと言います。

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~フランツ・ヨーゼフとエリザベート~


皇帝フランツ・ヨーゼフと出会ったころのシシィ(エリザベートの愛称)は若干15歳。

トラブルメーカーで、空想癖があり、学業にはあまり身が入らず、自由奔放で天真爛漫な少女でした。
少女時代はさほど美人ではなかったという説もありますが・・・?

一方のフランツ・ヨーゼフは生まれながらの美男子で、完璧な優等生でした。
フランツ・ヨーゼフは性格が正反対のエリザベートを妻に選んだのです。
フランツ・ヨーゼフとエリザベートは二人ともうっとりとした美男美女で、
オーストリア国民に明るい希望を与え、熱狂的な人気を生み出します。

しかしながら、15歳のエリザベートにとって、思春期時代を皇室で過ごすことはあまりに過酷な試練でした。
フランツ・ヨーゼフがエリザベートを心から愛していたからこそエリザベートは皇室で生き抜くことが出来たのでしょう。

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~二人の出会い~


オーストリアの標語は「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」であり、
侵略戦争より、政略結婚により領土拡大してきました。

オーストリア王家のモットーです。

フランツ・ヨーゼフとエリザベートの出会いは1853年8月16日オーストリア西部のティロル、
夏の避暑地での舞踏会でした。

もともとはフランツ・ヨーゼフの母、ゾフィー大公妃がエリザベートの姉ヘレーネとお見合いをさせようと画策したものでしたが、フランツ・ヨーゼフが着飾ったヘレーネより、一番地味な格好をした妹のバイエルン公女エリザベートに熱を上げてしまったことに始まります。
フランツ・ヨーゼフの母への初めての反抗でした。
それ以降、フランツ・ヨーゼフはエリザベートと出会ってから死が二人を分かち合うまで、
エリザベートを愛し続けたと言います。

フランツ・ヨーゼフの母 ゾフィ―大公はオーストリアフランス大使館宛てへの書簡で、
エリザベートの家柄が、未来の皇后としてはあまり高い地位でないことを心配していたと言います。

そのころフランスでは恋愛結婚が一般的でない時代にもかかわらず
ナポレオン3世とウージェニーは恋愛結婚をしていました。

やはりフランスは恋愛や結婚においていつの時代でも寛容で、先進的であったのですね。

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金貨の名品 オーストリア 100コロナ1908年「雲上の女神」

フランツ・ヨーゼフ1世 皇位60周年を記念して発行された
オーストリア 100コロナ 通称「雲上の女神」。
1908年のみの発行となります。
国内外で人気の高い金貨で、ファンも多くいます。
日本でも言わずと知れた・・・コインかもしれません。
この金貨はフランツヨーゼフ皇帝の愛妻、絶世の美女で知られる
エリザベート皇后が女神となり、雲上からフランツヨーゼフ皇帝に祝意を讃えている様子が描かれています。
PF(プルーフ)63が365万円、MS64 330万円(2015 年4月のレート)の間で取引され、
近年未使用クラスのものは非常に高値を付けています。

雲上の女神雲上の女神2


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640年に渡り欧州を支配したハプスブルク家とは

 ハプスブルク家の起源はスイス・バーゼルの奥のライン河上流地域を支配していた貴族まで遡る。
1273年たまたま空位だった神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれたルドルフ1世は
ボヘミア王オットカルとウィーン北東のマルヒフェルトで決戦を行い勝利を収めてこの地域の支配権を確立した。
1278年8月26日、これがハプスブルク家の始まりです。
ここから1918年第一次世界大戦で敗れ、崩壊するまで640年間欧州を支配続けることになるのです。

神聖ローマ帝国皇帝の地位を1806年ナポレオンによって神聖ローマ帝国が滅ぼされるまで、
殆ど世襲してきた名門中の名門「ハプスブルク家」。
これほど長い間権力を握り、繁栄したのはハプスブルク家の15世紀の有名な家訓にもとづくといって良いでしょう。
「戦いは他のものにさせるが良い、汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ」
つまりハプスブルク家は自他ともに損害を多く伴う戦争より、結婚政策に限るという方針を採ったのです。
1556年引退したカール5世の意に従ってハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれます。
しかしその後、プロテスタントとカトリックの宗教戦争、30年戦争がはじまります。
この戦いによってハプスブルク家の威信は低下し、
その後1700年にスペイン系ハプスブルク家の後継者が途絶えてしまうのです。
その後ブルボン家の継承を認めざる負えなくなりますが、
1863年オスマントルコの脅威を撃退すると、オーストリア系のハプスブルク家は
バロック様式の建築や絵画、音楽が一斉に花開きます。
勝利の喜びが芸術家たちの創造力を掻き立て、光り輝くバロック様式の建築がウィーンを飾り、
最盛期を迎えたウィーンに女帝マリア・テレジアが登場します。
そのころフランスには革命がおこり、ルイ王朝が滅びましたが、
オーストリアにこのような革命が起こらなかったのは、ハプスブルク家が国民から親しみを持たれていたからでしょうか。
しかし、フランス革命の影響で、支配下のイタリア、ハンガリー、チェコなどで独立運動が盛んになってしまいます。
革命時は弾圧できたものの、イタリアが1859年の独立戦争でオーストリアに勝利、独立したのです。
その後、独立を求めるハンガリーはエリザベートの協力もあり、
フランツヨーゼフ皇帝により独立ではなく、二重帝国となります。
しかし、民主主義という時代の流れは止めようがなく、
結局1914年に始まった第一次世界大戦が終わった時、帝国は四分五裂になって崩壊します。
寄り合い所帯の多民族国家の弱点が露呈したのです。
しかし、多民族国家であったから、それぞれ個性の持った各民族が交流し合い、
音楽、文学、絵画、建築、法学、経済学、哲学、医学など多くの広い分野で、
文化の華を咲かせたともいえるのではないでしょうか。
すばらしいコインもこの時代に生まれました。
天才は異なる主から多く生まれるといいますが、ハプスブルク家はその代表的な例でしょう。





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オランダ東インド会社 VOCコイン





VOC.jpg


デュカトン銀貨  VOC 1739年
オランダ東インド会社発行 (ホーランド)
極美品  Very rare


表 騎乗の騎士

裏 ライオンに支えられた王冠 VOCの刻印

このコインはオランダ東インド会社により、発行されたVOCコインです。
当時はアジアのハーブやスパイス、特にコーヒーの支払いのために使用されました。
コーヒーは300年の歴史がありますが、アジアではそれ以前の時代から庶民の飲料として広まっていました。
最初は紀元前800年、エチオピア領域で生まれました。
その後、イエメン、サウジアラビア、エジプトへと広まっていったのです。

紀元1500年代後半、最初のコーヒー商人が欧州市場コーヒーを広めます。
しかしながらコーヒーの人気が西洋で高まり、価格が高騰したため、
オランダ人は植民地のインドネシア(ジャワ島とバダビア)などでコーヒー栽培を始めたのです。
このようにしてオランダよりインドネシアにコーヒーが初めて紹介されます。

しかしそれでも欧州でのコーヒーの供給が需要に追い付かず、価格が高騰、
コーヒーは金持ちだけが楽しめる飲料となっていったのです。

オランダ東インド会社について

インドネシアにおける香辛料貿易の為にオランダ東インド会社が設立されました。
1602年、オランダ東インド会社がジャワ島に進出し、オランダによる植民地化の時代が始まります。
オランダ人たちは前世紀にこの地域に到達していたポルトガルや、同じ時期にやってきた競争相手のイギリスを追いやってこの地域における主導権を握り、長い時間をかけて次第に支配地を現在のインドネシアの領域全体へと拡大していったのです。
その拠点として1619年に制圧されたのがバンテン王国の首都ジャカルタであり、
オランダ人はこの町をバタヴィアと改名したのです。

このコインは中世の黎明期を象徴するコインと言えるでしょう。
先日行われた海外オークションでは
170万前後で落札されましたが、最終的に日本に持ち込むまでの手数料などを考えると
220万円位になるでしょう。
2年ほど前にオークションで見かけた際はもう少し安く手に入れられたのですが・・・
CoinShowなどに出かけても、ショーケースには目を惹くコインが少なくなってきています。
特に歴史的価値の高いコイン、人気の人物が描かれたコイン、大型金貨は簡単には入手できなくなってきています。



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春の新入荷コイン

大変お待たせいたしました。
CoinExpertのお勧めする新しいコインの入荷が決まりましたので
ご紹介いたします。
発送開始は5月のGW連休明け予定となっております。


アテナイ テトラドラクマ銀貨 EF
古代ギリシャコインの名品、近年グレードの良いものはなかなか見られなくなってきました・・・・・・

ユリウスカエサル デナリウス銀貨 ローマ軍移動造幣所発行 VF
カルタゴの移動造幣所に習い、ローマ軍ユリウスカエサルの下でも移動造幣所にて兵士への給与支払いのため貨幣が発行された。表には象、裏には4つの道具がデザインされています。

オーストリア 雲上の女神 100コロナ 1908年  MS62PL
国内外を問わずとても人気があり、常に高値で取引されている「運上の女神」オーストリア 100コロナ金貨です。
MS62のプルーフライクというグレードは珍しく、非常に美しいコインです。

フランス ルイ13世 1/2エキュ銀貨 1642年 AU55
ルイ13世のドミエキュ銀貨は状態が良く残っているものが少なく、極美品以上であれば、
今後が楽しみなコインです。

ルイ14世 1/2エキュ銀貨 1649年 MS64  レンヌミント 最高グレード
ルイ14世幼年像を描くドミエキュ銀貨 
最高グレードになります。

ナポレオン3世 5フラン銀貨 1861年 パリミント MS64
1861年パリミントの 5フラン銀貨は1867以降発行のものより発行枚数が100分の一以下。
未使用のグレードのものは非常に稀少

ナポレオン3世 100フラン金貨 月桂冠 1867年 パリミント MS62
発行枚数 4,309

ナポレオン3世 100フラン金貨 月桂冠 1869年 ストラスブールミント MS61
最終発行年号

ニュルンベルク ライヒスターラー銀貨 1581年XF45
Very rare 鑑定枚数1枚のみ。
クラウン銀貨の最高峰

グァテマラ 20ケッツァル 1926年 MS61
美しいデザインから、コレクターからの人気が高い

ヴィットリオ・エマヌエレ3世 100リレ 鍬を持つ女神イタリアの立像 1912(R)MS63 
豊穣の女神が美しく、国内外問わず、コレクターが多い。
どの年号も発行枚数が少なく、グレードの高いコインは稀。

ナポレオン ネグロ・ヘッド 1/4フラン銀貨 1807年 パリミント MS63
一年限りで製造中止となった、ナポレオン 「ネグロ・ヘッド」

詳細は近日中に「新着予約販売商品」としてhttp://coinexpert.jp/へ掲載いたします。
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プロフィール

Ms CoinExpert

Author:Ms CoinExpert
Ms CoinExpert 吉岡 美栄
外国貨幣研究家、元ジェミニ代表の平木啓一氏の下6年間、アンティーク貨幣売買に携わり、
2013年11月にCoinExpert.LLCを設立。
Managing Directorとして日々奮闘中。

 

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