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花嫁の首飾り

セルビアに在住のコレクターとお話をしていたら、
セルビアでは代々受け継がれるネックレスがあるということを聞きました。
自身の両親も祖母からドゥカット金貨で作られた首飾りを受け継いでいるとのことで、
素敵だなぁと…写真も送ってもらったのでこちらに掲載したいと思います。


それは一般的にはオーストリアやイタリアのドゥカット金貨で作られており、結婚する際に花嫁が嫁ぎ先の家から受け継ぎ、結婚式の際に身に付けるのが伝統とのこと。
セルビアはアジア〜ヨーロッパの通り道であったため、様々な国のアンティークコインが発掘されたりします。
先日はセルビアのでポットに入れられたローマコインが見つかったニュースが入りました。
状態についてはわかりませんが…。
アンティークコインが好きな私にとっては
興味深い国です。


2016112509574923c.jpg
ドゥカット金貨で作られた首飾りをつけた花嫁


20161125095751b47.jpg

花嫁の首飾りは難しくても、こちらなら普段使いできそうです…。
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コインで見るオーストリアの歴史

先日、オーストリアの共和国時代に2年号のみ発行された金貨が入荷しましたので、
CoinExpertのコレクションをもとに、オーストリアの歴史を見ていきたいとお思います。

オーストリアはローマ帝国の時代を経て
ザクセン家のオットー1世がローマ教皇から帝冠を授かったことにより神聖ローマ帝国が誕生。

 976年オットー2世、神聖ローマ帝国のオスト・マルク(東方辺境伯領)にバーベンベルク家を封じてから、
バーベンベルク家の時代が始まります。
 1246年バーベンベルク家が断絶すると、ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国君主となり、
ここから650年近くにもわたるハプスブルク家の神聖ローマ帝国の支配が始まるのです。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」という言葉は有名すが、
この言葉の示す通り、血縁制度を利用した政略結婚により領土を拡大、
マリーアントワネットも母マリアテレジアによる外交革命の一環としてルイ16世と結婚することになりました。

神聖ローマ帝国 銀メダル 1760年

神聖ローマ帝国 銀メダル 1760年
(フランツ1世、マリア・テレジア、ヨーゼフ1世、そしてヨゼッファ(マリー・アントワネット)が左から順に描かれている。これはフランスのルイ16世に嫁ぐ前のマリー・アントワネットと両親、それに兄を描くもの) 


その後はフランス革命が勃発、ナポレオンが1804年にフランス皇帝を名乗ってからは、🆚ナポレオン戦争の時代に突入。
ナポレオンが死去してから30年ほどは平穏な日々が続きます。
宰相メッテルニヒによる保守反動体制に反発した2月革命が勃発した後、
1848年12月、オーストリア帝国の実質上最後の皇帝と呼ばれるフランツ・ヨーゼフが若干18歳で即位します。

フランツ・ヨーゼフの68年に及ぶ治世は苦難の連続でした。
政治的には、度重なる敗戦の末にイタリア半島から締め出され、
1866年の普墺戦争でも近代的な装備のドイツ軍に敗北を重ね、
ドイツにおける主権を失ってしまいます。
1867年には独立を求めるハンガリーに自治権を与えて国名を「オーストリア・ハンガリー二重帝国」と改めました。
フランツヨーゼフの妻、エリザベートはバイエルンのバラと讃えられるほど美しいことで有名でしたが、
1898年に不慮の事故でエリザベートはなくなります。 
息子のルドルフはフランツヨーゼフと政策をめぐり対立。自殺してしまうのです。
 そのために、新たに皇太子となったのはフランツ・フェルディナント(フランツ・ヨーゼフの甥)でした。
しかし、彼も1914年に訪問先のサラエボでセルビア人に暗殺されてしまいます。
フランツ・ヨーゼフはセルビアに宣戦布告し、これを契機として第一次世界大戦が勃発します。


オーストリア フランツヨーゼフ1世 100コロナ 1908年 MS622オーストリア フランツヨーゼフ1世 100コロナ 1908年 MS62
オーストリア フランツヨーゼフ1世 100コロナ 1908年 MS62
皇位60周年を記念して発行された。
(エリザベート皇后が女神となり、雲上からフランツヨーゼフ皇帝に祝意を讃えている様子が描かれています。
フランツ・ヨーゼフ皇帝はエリザベートに出会った最初の瞬間から彼女を熱愛し、暗殺される日まで熱愛し続けました。)
 
4年に渡る戦争の末にオーストリアは敗北し、最後の皇帝カール1世はシェーンブルン宮殿で退位文書に署名します。
こうして650年近くに渡ったハプスブルク王朝は終焉を迎えました。

 戦後は共和国として再スタートしますが、第二次世界大戦に先立つ1938年にヒトラー率いるナチス・ドイツに併合されてしまいます。第二次世界大戦(1939~1945年)では連合軍の爆撃で甚大な被害を蒙り、ナチス・ドイツの敗戦後は、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの4ヶ国によって分割統治されます。
 
austria 1924 100kronen austria 1924 100kronen2

オーストリア 100クローネン 1924年 MS61PL
(オーストリアが共和国になって初めて流通したコインであり、1923年と1924年の2年号だけの発行である。
発行枚数が少ないため、状態の良いものは希少である。)

IMG_4213.jpg

IMG_4215.jpg
ヒトラー オーストリア併合記念メダル
(表にはヒトラーの肖像
裏にはイン川橋にかかるイン橋)


 1955年、オーストリアは国家条約に調印、永世中立国として独立を回復します。
さらに、首都のウィーンには1973~1979年にかけて国連ビルが建設され、ニューヨーク、ジュネーブに次ぐ国連都市となりました。
 
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ローマの貨幣制度

古代ローマは現在のローマ市の中心部である7つの丘付近に住む、羊飼いたちの集落から始まった。
それが次第に強固な結びつきを有する国家にと発展。
周辺の国家を併合して行ったのである。
なかには文化水準の高いエルトリアを併合したケースも見られた。
 イタリア半島には紀元前7世紀頃から、ギリシアの植民市が存在していた。
こうした都市国家はギリシア方式の貨幣制度を持ち、
それに従った貨幣発行を続けていたのだ。
 ローマ独自の本格的貨幣発行が始められたのは、紀元前3世紀に入るか入らないかの頃ーー300年前後と考えられる。
貴金属を多く産出しないローマは
高額面貨幣が重い青銅貨となってしまう。
これらは「重い青銅貨」AES GRAVEと呼ばれ、2倍のアース青銅貨ーードゥポンディウス青銅貨は、何と量目555グラムを有していたのであった。
 アースは10ウンキア(オンス)に相当するが、
これは280グラム程度だから、ほぼ合致していることになる。
今日の1オンス(貴金属以外)は約27.3グラムだから、正確に古代ローマ制度から由来しているのが判る。
紀元前269年の時点で、ローマではまだ青銅貨だけの貨幣発行が続いていた。
この時どのような大型青銅貨があったのか整理してみよう。

 アース AS B.C.275-270 300グラム
 (ポンドの意味を有していた)

 セミス SEMIS B.C.275-270 138.44グラム
  (1/2アースに相当)
 トリエンスTRIENS B.C.275-270 103.82グラム
  (1/3アースに相当)
 クァドランス QUADRANS B.C.280-269 87.63グラム
  (1/4アースに相当)
 セクスタンス SEXTANS B.C.275-270 49.54グラム
  (1/6アースに相当)

他にも以下のような貨幣が存在している。

 テルウンキウス TERUNCIUS B.C.280-230 112.90グラム
 クァトルンクス  QUATRUNX   B.C.269-225 133.15グラム
 ビウンクス    BIUNX     B.C.269-225  87.49グラム
 3/12ウンキア (1/4アース)

紀元前269年ーー第一次ポエニ戦争に先立つこと5年、この年にローマは初めて銀貨「デナリウス」を発行した。
これの価値は10アース青銅貨、あるいは4セステルティウス青銅貨に相当したのである。

ローマに大きな衝撃を当てたのは、紀元前218年のカルタゴによるローマ進攻であった。
この時ハンニバル・バルカスはアルプスを越え、紀元前216年にはカンナエでローマ軍2個軍団を撃滅した。
 これによりローマは震撼し、300グラム前後あったアース青銅貨は、107.31グラムにと痩せてしまう。
この事実上の貨幣価値の下落は、さらに紀元前212年になると53.35グラムまで縮小された。
経済状況を建て直すべく紀元前206年に金貨を発行するが、
これの貨幣単位はアースだった。

ただし、スターテル金貨と1/2スターテル金貨が存在するという説もある。
 紀元前90年から88年にかけての大ソキア戦争で10.69グラムの量目のアウレウス金貨が初登場する。
ユリウス・カエサルがガリアで戦っている頃、ローマでは金1リブラ(1ポンドで373,2グラムに相当)は3000セステルティウスであった。すべての財産を表示する単位はこのセステルティウスで、10万以上の財産を持つ者だけが騎兵になる資格を有した。

 トラヤヌスやハドリアヌスといった5賢帝の時代を挟んで、
アウレウス金貨は9.33グラムから6.55グラム(215年)にと軽くなり、
カラカラ帝治世下での軍の給与改正と貴金属の海外への流出が原因となった。
250年代になると、セステルティウス青銅貨も、帝制初期の30グラムあった量目が、
20グラム以下となり、ドュプレクス(ダブル)セステルティウス青銅貨すら<建国1000年>記念貨として発行された。
伝統的なローマのデナリウス銀貨は、セステルティス青銅貨に次いで、ディオクレティアヌス帝の下で姿を消した。
この時発行されたのは<アルゲンディウス>低品位銀貨だった。
 アウレウス金貨も215年のガルス帝の下で5.44グラム、312年のコンスタンティヌス大帝の下では4.55グラム、
367年のウァレンティアヌス帝の下だと3.89グラムと急速に痩せ、アウレウスすなわち「金」ではなくアウレスすなわち「空気」と呼ばれた。
 アウレスならぬアウレウス金貨は、60分の1金ポンドの量目を有していたが、それは72分の1金ポンドの<ソリデュス金貨>の発行により終止符を打たれた。
 こうした古代ローマの貨幣制度は、イギリスで10進法採用まで名残が残っていた。
すなわちポンド・スターリング制をLSDと表示したが、Lはリブラ、Sはソリデゥス、Dはデナリで、12・20進法がそっくり用いられていたのである。



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プロフィール

Ms CoinExpert

Author:Ms CoinExpert
Ms CoinExpert 吉岡 美栄
外国貨幣研究家、元ジェミニ代表の平木啓一氏の下6年間、アンティーク貨幣売買に携わり、
2013年11月にCoinExpert.LLCを設立。
Managing Directorとして日々奮闘中。

 

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